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趣味で振り返る人生(4)模型飛行機 [趣味人生]

 最初に書いたプラモデルの延長でいろんな模型作りが好きだが特に興味を持ったのが飛行機だった。「空中を飛ぶ」ということに魅力を感じていたのだと思う。最初は紙飛行機だった。その次は駄菓子屋で売ってた、胴体、主翼、尾翼を組み合わせて作る手投げ飛行機だった。この種のおもちゃは今でも安く売ってて、翼は発泡スチロール、胴体はプラスチックになっているが、当時はすべて紙だったように思う。胴体は薄い木だったかもしれない。胴体の先端に釣りに使うような鉛のおもりがついていた。
 小学校の高学年になるといわゆるライトプレーンをよく作った。
ライトプレーン.jpg
 竹ひごを熱で曲げ、ニューム管でつないで翼を作り、薄い和紙を貼って仕上げる。ゴム動力で飛ばすのだが、うまく作ると結構よく飛んだ。
 次にハマったのがタイガーロケッティという、固形燃料を使った模型ジェットエンジンの飛行機。
タイガーロケッティ.jpg
円盤.jpg
 単2電池ぐらいの大きさのカプセル状のエンジンで、底部の中央に小さな孔が開いている。カプセルの中に固形燃料を入れて導火線で火をつけるとその孔からガスが噴出して推進力を得るというものである。燃焼時間は数10秒から1分以内だったと思うがバルサ材で作った機体はびっくりするほどよく飛んだのが忘れられない。
 中学に入る少し前にエンジン模型に興味を持つようになった。本当はラジコン飛行機が欲しかったのだが、送受信機が高価でお小遣いでは手が出なかった(>_<) そこで、始めたのが「Uコン」だった。
Uコン_アンサイクロペディア フリー百科事典零細のイラスト.jpg
(※アンサイクロペディア フリー百科事典零細のイラストより)
 近くに経験者がいたわけではないので、詳しいことはわからずに模型屋のおやじに聞きながら始めたように思う。当時、”Uコン技術”という雑誌があったのでそれが参考書だった。
Uコン技術.jpg
 最初は機体だけ買ってまず作り、たぶん、お正月のお年玉でエンジンやその他のパーツ・道具を買い揃えたように思う。最初はうまく飛ばせずにすぐ墜落させてしまい、機体の修理と墜落を何度繰り返したことか・・・ 中学に入ってからは仲の良い友人を引っ張り込んで、その後高校卒業まで二人でUコンを楽しんだ。エンジンも小さいものからかなり大きいものまで揃え、作った機体も10数機になると思う。市販のキットがほとんどだが、雑誌に掲載された製作記事と図面を基に自作したものもある。
Uコン01.jpg
Uコン02.jpg
 最後に作ったのは雑誌に出ていた引き込み脚メカニズムを搭載したスピットファイアのスケール機だったが、これは、結局、完成まで至らず、今も実家の押し入れで眠っている(^_^;)
 高校卒業後、大学時代の友人が興味を示したので一度だけ飛ばして見せたことがあるがそれが最後になった。
 雑誌”Uコン技術”も私が社会人になるころには廃刊となり、模型屋でUコンを見ることもほとんどなくなって30~40年経ったが、今年の春ごろ、たまたま本屋でラジコン雑誌を開いたとき中高生時代にUコン技術でよく見た名前をいくつか見つけた。いずれも模型飛行機界では有名な方々だったが、一番高齢だった方がなくなったという訃報だった。本屋へはよく行くがその雑誌を手に取ることはほとんどなく、たまたま手にした時にそういう記事を見つけるというのはやはり縁があるのかなと感じた次第である。
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趣味で振り返る人生(3)読書②SF [趣味人生]

 前回、小説の好みはミステリーに偏っているという話をしたが、SF小説にも特に気に入っているものがいくつかある。SFを読むようになったのは中学時代の友人の影響が大きかった。この友人はSF大好き人間で読書量も私よりずいぶん多かった。彼の勧めがあって、E.E,スミスのレンズマンシリーズや、当時、流行っていた小松左京などもいくつか読んだがハマるということはなかったように記憶している。それが、何がきっかけかは覚えていないが、E.R.バローズの「火星のプリンセス」を読んでハマってしまった。
火星のプリンセス.jpg
 特に、凝った内容ではなく、よくあるヒーローの冒険小説という感じだったが、とにかくスピーディーな展開と主人公の圧倒的強さの爽快感が気に入って、火星シリーズ、金星シリーズなど15冊ほどを次々に読んだ。ただ、ストーリーはどれも単純なので、最後のほうはやや飽きた感じもあった。また、E.R.バローズはターザンシリーズやペルシダーシリーズも有名だが、そちらはほとんど読んだ記憶がない。「火星のプリンセス」は2012年にディズニーが鳴り物入りで映画化したので、若い頃にワクワクしながら読んだことを思い出しながら大いに楽しめた。ただし、映画としてはハズレ作だったらしい。
 他の作品では、ありきたりだがI.アシモフのファウンデーションシリーズが印象的だった。
銀河帝国の興亡.jpg
 当時は創元推理文庫版の「銀河帝国の興亡」3部作だけだったが、10数年後に続編が出てきたのに驚いた。ミステリーとは違った壮大なスケールでのストーリー展開にSFの魅力を感じた作品だった。
 その後、もっとも好きになったのがJ.P.ホーガンだ。
星を継ぐもの.jpg
 ハードSFと言われるジャンルの作家で、「星を継ぐもの」から始まる巨人たちの星シリーズは人類や地球の起源にまつわる謎解きが盛り込まれ、ミステリー好きの私の趣味に合ったといえる。荒唐無稽な夢物語的なストーリー展開ではなく、(疑似)科学的、論理的な説明が尽くされる展開が私には「新しいSF小説!」という感じだった。巨人シリーズ以外の作品も翻訳されたものはほとんど読んだと思う。ただ、2010年に69歳で亡くなられて、書きかけのクロニア人三部作の第3巻が未完成になったのが残念である。


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趣味で振り返る人生(2)読書①ミステリ [趣味人生]

 小学校の頃に興味を持って今も続いてる趣味というと読書がある。ただ、読むジャンルはかなり偏っていてメインはミステリ小説。当時は推理小説、あるいは探偵小説と言われていた分野である。もともと家にいるより室外を走り回るほうが好きなタイプだったので「本が好き!」というわけではなかった。ぼんやりした記憶だが、小2の頃に家にあった子供向けの世界名作文学全集を父親が読み聞かせをしてくれたのがきっかけになったように思う。全集なので数十冊あったのだが、その中に「シャーロック・ホームズの冒険」があり、父親が「これは面白いよ」と言っていたのを覚えていて、小3か小4になってから自分で読んでみてホームズの虜になった。ちなみに、父親が読み聞かせてくれたのはギリシャ神話やオデュッセイアで、これは、後々、世界史や古代史に興味を持つきっかけになったと思う。
 全集に収められていたホームズ譚は数編あったと思うが、すぐに読み終えて別の話が読みたくなった。当時、普通の文庫本を読むような年齢ではなく子供向けの単行本を片っ端から買ってもらった。オリジナルのホームズ譚は4つの長編と5つの短編集があるのだが、その頃はそんなことも知らずに読んでないタイトルを探して買い足していった記憶がある。たぶん、20~30冊はあったと思う。偕成社だったかな? ポプラ社だったかな?
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 ホームズをきっかけとして、怪盗ルパンのM.ルブランや明智小五郎の江古川乱歩も読むようになった。
 中学生になって普通の文庫本を読むようになり、最初にはまったのがE.クイーンの「国名シリーズ」だった。謎解きの前に「読者への挑戦状」というページがあり、「すべての証拠は提示してありますが、あなたは犯人が分かりますか?」と問いかけてくるのがなんとも楽しかった。クイーンに続いて、V.ダインやJ.D.カー、A.クリスティなどをよく読んだが、決して読書少年というわけではなかったので一部の作者を除いて、読んでない作品のほうが多い。
 また、翻訳ものが好きで国内ものはほとんど読んでいない。当時で言うと横溝正史、現在だと東野圭吾、京極夏彦、綾辻行人などは嫌いというわけではなく、むしろ、好きな内容だがほとんど読んでいないという偏ったミステリファンである。(老後に楽しみを取ってる?)
 推理小説を扱った雑誌としては当時から早川の「ミステリマガジン」があったが、それほど熱心に読んだ記憶はない。たぶん、短編にあまり興味がなかったので、文庫の長編のほうが良かったのだと思う。だが、もう少しあと(大学生ぐらい)になってから、「EQMM(エラリークイーンズミステリーマガジン)」の日本語版として「EQ」という雑誌が光文社から発行され、これは毎号購読した記憶がある。あとで知ったことだが、「ミステリマガジン」の前身として日本語版「EQMM」はすでに存在しており、「EQ」は翻訳の版権契約が早川から光文社に移ったことで生まれたらしい。この「EQ」も短編が中心であったが、強烈な印象が残っているのがローレンス・ブロックの悪徳弁護士エイレングラフである。L.ブロックはマット・スタガーや泥棒バーニィが有名なキャラクターで、エイレングラフはマイナーな存在だがその特異なキャラクターで忘れられなくなった。
 1988年から「このミステリーがすごい!」(通称このミス)という雑誌が毎年発行されるようになった。今、本棚を探してみると、1992年版まではすぐに見つかった。おそらく1988年版は購入していないが、1989年版の海外1位「羊たちの沈黙」、3位「古い骨」は印象に残っているので1989年版から購入していたように思う。以降は毎年ランキングに入った作品から数冊選んで読むようになった。大学生、社会人になってからも特に読書時間が増えたわけではないが、通勤・通学の電車内は新聞や漫画ではなく、いわゆる読書をすることが多かったので、文庫や新書を常に持ち歩いていた。ただし、社会人になってからは自己啓発本や仕事関係の専門書が多くなったし、趣味の雑誌もいくつかあったので小説の読書量は少なくなっていったように思う。

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趣味で振り返る人生(1)プラモデル [趣味人生]

 若い時から自分自身では割と多趣味だと思っているが、その最初が何だったのかと考えると4、5歳ころのプラモデルが最初だと思う。当時、50円ぐらいのちゃちな組立キットを母親が買ってきてくれたのが最初だと思う。たぶん、10個未満の数少ない部品を組み合わせるだけの簡単なものだったと記憶しているが、完全にはまってしまった。その頃から小学校の4、5年まではプラモデル熱が続いたと思う。覚えているのは、小学校2年のお誕生会で10人ぐらいの友人を自宅に招いたとき、一人を除いてみんながプラモデルをプレゼントに持ってきた。それぐらい、私のプラモ好きが知られていたということである。
 小学校低学年の頃は特に好きなジャンルはなく、プラモなら何でも良かったように思う。ウルトラマンやその怪獣のプラモもいろいろ作ったような気がする。動きのあるものも好きだったが、明かりが点いたりするのも好きだった。豆球よりももっと小さなムギ球というのがあって、車のライトや怪獣の目などを光らせていた記憶がある。
 嗜好が変わったのは3、4年生頃で、この頃は戦車のモデルに熱中していたように覚えている。ドイツの戦車が好きで、パンサーやタイガー、ロンメルといった名前が懐かしい。最初の頃はゴム製のキャタピラだったのが、途中からパーツを組み立てるタイプのキャタピラに変わって、非常にリアルになったのがうれしかった。
 この頃はプラモづくりも続けていたが飛行機に興味をもって、ライトプレーンもよく作ったし、タイガーロケッティという固形燃料を使った動力付きのグライダーも好きだった。さらに、小学校高学年になるとエンジン飛行機のUコンに興味が移っていったが、このあたりはまた別に書きたいと思う。
 プラモづくりは中学になっても続けていたがやはり興味は飛行機になっていた。ちょうどこの頃、「レベル」というメーカーの飛行機プラモを対象にした「プラプレーンコンテスト」というのがあって、各地の模型店が作品を募集し、最終的に日本一の出来栄えを競うというイベントだった。私のなじみの模型屋さんも作品の募集をしていたので2回ほど応募した。最初は「スピットファイア」、2度目は「ユンカース・スツーカ」だったと思う。逆だったかな? ピースコンを使って迷彩塗装に挑戦したが、あまり自慢できる出来栄えではなかった。ただ、田舎の模型店ということもあって応募者が少なく、その店の賞として最初は銀賞、2回目は金賞がもらえた。
 中学からは先に書いたようにUコンが趣味のメインとなってプラモづくりはだんだんと遠ざかってしまった。プラモに興味がなくなったわけではないが他のことに時間を割くことが多くなったということで、その後、どんなプラモを作ったかもあまり記憶がない。ただ、ガンプラは一つもやってない。
 そうそう、自分で乗った車の模型をいくつか作った。大学に入って運転免許を取り、家で買った車が日産バイオレットで、これのプラモを見つけて作った。これは今も実家においてある。そのあと就職してから自分で買った最初の車がマツダのコスモ。これもプラモを探して作り、今もリビングの棚に置いてある。
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そして、昨年買ったマツダ・ロードスターRFのプラモが今年の3月に発売されたので早速購入し、現在、製作を待っているところである。実車と同じ塗装をしようと準備中である。
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あと、変わったところでは数年前に盆栽のプラモを発見し、興味本位で作ってみた。盆栽そのものには興味はないが、なかなかリアルで気に入っている。
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