SSブログ

趣味で振り返る人生(1)プラモデル [趣味人生]

 若い時から自分自身では割と多趣味だと思っているが、その最初が何だったのかと考えると4、5歳ころのプラモデルが最初だと思う。当時、50円ぐらいのちゃちな組立キットを母親が買ってきてくれたのが最初だと思う。たぶん、10個未満の数少ない部品を組み合わせるだけの簡単なものだったと記憶しているが、完全にはまってしまった。その頃から小学校の4、5年まではプラモデル熱が続いたと思う。覚えているのは、小学校2年のお誕生会で10人ぐらいの友人を自宅に招いたとき、一人を除いてみんながプラモデルをプレゼントに持ってきた。それぐらい、私のプラモ好きが知られていたということである。
 小学校低学年の頃は特に好きなジャンルはなく、プラモなら何でも良かったように思う。ウルトラマンやその怪獣のプラモもいろいろ作ったような気がする。動きのあるものも好きだったが、明かりが点いたりするのも好きだった。豆球よりももっと小さなムギ球というのがあって、車のライトや怪獣の目などを光らせていた記憶がある。
 嗜好が変わったのは3、4年生頃で、この頃は戦車のモデルに熱中していたように覚えている。ドイツの戦車が好きで、パンサーやタイガー、ロンメルといった名前が懐かしい。最初の頃はゴム製のキャタピラだったのが、途中からパーツを組み立てるタイプのキャタピラに変わって、非常にリアルになったのがうれしかった。
 この頃はプラモづくりも続けていたが飛行機に興味をもって、ライトプレーンもよく作ったし、タイガーロケッティという固形燃料を使った動力付きのグライダーも好きだった。さらに、小学校高学年になるとエンジン飛行機のUコンに興味が移っていったが、このあたりはまた別に書きたいと思う。
 プラモづくりは中学になっても続けていたがやはり興味は飛行機になっていた。ちょうどこの頃、「レベル」というメーカーの飛行機プラモを対象にした「プラプレーンコンテスト」というのがあって、各地の模型店が作品を募集し、最終的に日本一の出来栄えを競うというイベントだった。私のなじみの模型屋さんも作品の募集をしていたので2回ほど応募した。最初は「スピットファイア」、2度目は「ユンカース・スツーカ」だったと思う。逆だったかな? ピースコンを使って迷彩塗装に挑戦したが、あまり自慢できる出来栄えではなかった。ただ、田舎の模型店ということもあって応募者が少なく、その店の賞として最初は銀賞、2回目は金賞がもらえた。
 中学からは先に書いたようにUコンが趣味のメインとなってプラモづくりはだんだんと遠ざかってしまった。プラモに興味がなくなったわけではないが他のことに時間を割くことが多くなったということで、その後、どんなプラモを作ったかもあまり記憶がない。ただ、ガンプラは一つもやってない。
 そうそう、自分で乗った車の模型をいくつか作った。大学に入って運転免許を取り、家で買った車が日産バイオレットで、これのプラモを見つけて作った。これは今も実家においてある。そのあと就職してから自分で買った最初の車がマツダのコスモ。これもプラモを探して作り、今もリビングの棚に置いてある。
202005_mazdaCOSMO.jpg
そして、昨年買ったマツダ・ロードスターRFのプラモが今年の3月に発売されたので早速購入し、現在、製作を待っているところである。実車と同じ塗装をしようと準備中である。
202003_roadster_plamo.jpg
あと、変わったところでは数年前に盆栽のプラモを発見し、興味本位で作ってみた。盆栽そのものには興味はないが、なかなかリアルで気に入っている。
201705_bonsai.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。